第46回:島善鄰(しまよしちか)

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広報ID1009573  更新日 平成30年12月10日 印刷 

島善鄰(1889年~1964年)

農学者・ゴールデンデリシャスの父

島善鄰(しまよしちか)の写真

島善鄰は1889年(明治22年)8月27日、広島にて陸軍軍人島時中、きちの五男として生まれた。善鄰8歳のとき父時中が亡くなり、稗貫郡矢沢村高木(現:花巻市)に移る。そこで幼少時代を過ごし、元盛岡藩士の大叔父忠之の薫陶を受けた。
1916年(大正5年)4月、青森県農事試験場技師となった善鄰は、リンゴの減収原因の解明と栽培改善に取り組んだ。苹果(へいか)部の設置、スプレーカレンダー(薬剤散布暦)の考案、動力噴霧器の導入などの新しい試みを導入するかたわら、自転車で村々を回り、生産農家と積極的に交わった。善鄰の現場主義は一貫しており、“手帳とナイフとルーペを持ち歩いて、ルーペで病害虫を見る、ナイフでリンゴの味をみる、手帳には生産者の言ったことを書き留めておく。そうすると必ず何かが出てくる。自分勝手はできないと思うが脚で歩いて特に老人の言うことを良く書き留めておきたまえ。”と教え子にも話している。1923年(大正12年)にはアメリカから「ゴールデンデリシャス」の穂木(ほぎ)を導入、その普及に努めた。この品種からは「ふじ」や「つがる」などの主要品種が生まれている。
1927年(昭和2年)6月、母校北海道帝国大学助教授となり、以後同校で教鞭を取り続け、1950年(昭和25年)10月には北海道大学学長に就任した。この間もリンゴの研究と普及に務めた善鄰は“リンゴの神様”と言われた。

掲載日:平成18年8月25日

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