第42回:吉川保正(きっかわやすまさ)

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広報ID1009569  更新日 平成30年12月10日 印刷 

吉川保正(1893年~1984年)

郷土の美の発掘者

吉川保正(きっかわやすまさ)の写真

吉川保正は1893年(明治26年)6月27日、下閉伊郡重茂村(現:宮古市)にて吉川嘉傳治、アイの次男として生まれた。幼いころから絵が好きで、盛岡中学校(現:盛岡第一高等学校)在学中には岩手洋画の先駆者海野三岳の教えを受けた。
東京美術学校(現:東京藝術大学)彫刻科在学中の1921年(大正10年)2月、第3回帝国美術院展覧会に「小女立象」が入選、以後も彫刻を中心に出品を続けた。1927年(昭和2年)2月には、中華民国雲南省立美術専門学校教授として中国へ赴任した。この間にハノイや安南までスケッチに出かけており、後には吉川自身も貴重な体験だったと語っている。1929年(昭和4年)7月、帰国して岩手県商工館(現:岩手県工業技術センター)金工部長となる。このころから民芸への関心を深め、柳宗悦とともに東北地方を調査してまわった。戦後は岩手県重要美術品等調査委員、岩手県文化財専門委員、盛岡市文化財調査員などを歴任し、絵画から神楽まで多岐にわたり調査を進め、美の発掘者として活躍した。
彫刻家舟越保武は、吉川の彫刻を初めて見た時の思いを後に語っている。“それまでは思いもよらなかった量の力みたいなものを感じて、あっ、と思った。彫刻とはこういうものだと思ったし、自分でも彫刻を作りたいと思ったんだ。”

掲載日:平成18年6月25日

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