第48回:田丸卓郎(たまるたくろう)

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広報ID1009575  更新日 平成30年12月10日 印刷 

田丸卓郎(1872年~1932年)

理論物理学者・ローマ字国字論者

田丸卓郎(たまるたくろう)の写真

田丸卓郎は1872年(明治5年)9月29日、盛岡大清水小路にて旧盛岡藩士田丸十郎、センの次男として生まれた。1879年(明治12年)には伯父である中原雅郎一家とともに暮らし、宮城県師範学校附属小学校、東京師範学校附属小学校へ通った。
1892年(明治25年)9月、帝国大学理科大学(現:東京大学)へ入学した田丸は、生涯の恩師となる田中舘愛橘に出会う。田中舘の元で物理学を学んだのち、熊本の第五高等学校へ赴任、この時の教え子に寺田寅彦がおり、二人の交友は田丸の死まで続いた。その後ドイツ留学を経て、1907年(明治40年)に東京帝国大学理科大学教授となった。
田丸はドイツから帰朝した1905年(明治38年)、日本式ローマ字に関する演説を行う。この後、田丸は恩師田中舘とともに熱心な日本式ローマ字論者となり、その普及に努めた。二人は1909年(明治42年)に日本のローマ字社を設立、日本式ローマ字による雑誌「ROMAZISEKAI」や「ローマ字少年」を出版した。また田丸は1920年(大正9年)に『ローマ字文の研究』を出版、この本は日本式ローマ字の名著として今でも版を重ねている。1930年(昭和5年)に行われた臨時ローマ字調査会には病躯をおして出席し、3時間もの演説で日本式ローマ字の必要性を説いた。
田丸は幼いころから非常に優秀であった。同じ物理学者の長岡半太郎は、田丸の頭がもっぱら物理学に向かわず、ローマ字にばかり使われていたことを遺憾に感じていたと言われている。

掲載日:平成18年9月25日

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