第37回:長澤賢二郎(ながさわけんじろう)

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広報ID1009564  更新日 平成30年12月10日 印刷 

長澤賢二郎(1885年~1965年)

日本航空界の先達

長澤賢二郎(ながさわけんじろう)の写真

長澤賢二郎は1885年(明治18年)4月10日、盛岡十三日町(現:盛岡市肴町)にて似鳥多喜弥、クラの3男として生まれた。1897年(明治30年)10月、絶家となっていた長澤家を再興したのちに長澤姓を名乗った。
長澤は盛岡第一尋常小学校(現:仁王小学校)、盛岡高等小学校(現:下橋中学校)、盛岡中学校(現:盛岡第一高等学校)をへて、1905(明治38)7月に陸軍士官候補生として弘前工兵第八大隊に入隊した。当初は工兵として爆薬の使用に興味を持っていたが、日露戦争の旅順攻略の苦労話を聞いて気球に関心を持ち、1912年(明治45年)5月、当時東京中野にあった気球隊に入隊する。同年7月、飛行機操縦法の取得と墜落しても絶対に壊れない飛行機の購入を命じられ、飛行技術の先進国フランスへ留学した。帰国後は陸軍航空部隊の拡張とともに、所沢陸軍航空学校教官、熊谷陸軍飛行学校校長、明野陸軍飛行学校校長を歴任、後輩の指導にあたった。
長澤は1915年(大正4年)10月11日、愛機モーリス・フォアマンの複葉機とともに盛岡を訪れた。陸軍演習の東北大縦断飛行の一環であり、観武ヶ原(みたけがはら)着陸時には大津麟平県知事や同窓生たちが出迎えた。また翌日午前6時20分の離陸の際には、4万数千人の市民が見送っている。

掲載日:平成18年4月10日

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