第19回:郷古潔(ごうこきよし)

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広報ID1009546  更新日 平成30年12月10日 印刷 

郷古潔(1882年~1961年)

実業家・三菱重工社長

郷古潔(ごうこきよし)の写真

郷古潔は1882年(明治15年)11月13日、地域の教育者であった郷古玉三郎、ゆうの長男として水沢不断町にて生まれた。先祖は仙台藩伊達氏の一門である留守家(るすけ)に仕えた藩医だった。
盛岡中学校(現:盛岡第一高等学校)、第一高等学校(現:東京大学教養学部)、東京帝国大学法科大学法律科へと進学し、1908年(明治41年)8月、三菱合資会社に入社した。入社後すぐに九州の炭鉱へ転勤を命じられた郷古は、官吏への職替えを考えたが、同郷の先輩斎藤実(さいとうまこと)に説得されて思いとどまる。当時石炭は花形産業であり、郷古は忙しい日々を過ごした。後には三菱造船、神戸造船、三菱重工、日本航空会社と三菱財閥の各社で勤務し、1941年(昭和16年)には三菱重工の社長となった。しかし翌々年、財界の重鎮であった郷古に対し、東条内閣は内閣顧問となることを要請、公職につくために社長から退き会長となった。戦後はこのために戦犯容疑を受け、巣鴨刑務所に入所した。出所後は公職追放などの処分を受けたが、郷古の誠実な人柄や経営能力が戦後復興のために必要とされ、様々な役職につき、“財界のご意見番”などと呼ばれた。
一方後輩に対しても面倒見がよく、在京の岩手県出身の学生のために在京岩手学生会会長を務め、岩手学生会館を建設した。

掲載日:平成17年7月10日

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