仙北町(せんぼくちょう)・青物町(あおものちょう)
広報ID1009410 更新日 平成28年8月21日 印刷
仙北町(せんぼくちょう)・青物町(あおものちょう)
仙北町は、江戸初期に、2代藩主南部利直が奥州街道の南口に出羽国仙北郡の出身者を住まわせたことに由来するという。
当町は紫波郡の穀倉地帯に近く、米の集散や農民相手の商工業によって発展した。
延宝8年(1680年)に新山舟橋が架せられると、洪水で舟橋をはずす時は、当町側の水主(かこ)が橋の中程から南を担当し、北側は鉈屋町側の水主が担当した。
舟橋の橋詰から下る辺りを千日川原と称し、元禄飢饉の死者を供養する千日堂不退院(虚空蔵(こくぞう)さん)の建立に由来。
青物町は、古くは仙北町新小路といい、文化9年(1812年)に青物町と改められた。城下で消費する野菜・種物・粉なんばんなどの産地で、これらを扱う商店が集まっていたことに由来する。
青物町の北西にある七軒町(しちけんちょう)は、駒形神社の門前町で、当初の家数が7軒あったことに由来。頭人は御駒太夫と称し、太神楽などの神事芸能を伝承した。
「徳清」付近


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