紺屋町(こんやちょう)・鍛冶町(かじちょう)・紙町(かみちょう)
広報ID1009420 更新日 平成28年8月21日 印刷
紺屋町(こんやちょう)・鍛冶町(かじちょう)・紙町(かみちょう)
この3つの町は、江戸時代、盛岡城下を通る奥州街道に沿って発展した町人町であった。
紺屋町は、中津川を利用した紺屋(染物屋)が集まっていたことに由来。南部紫(むらさき)や南部茜(あかね)によって染められた布地は、盛岡藩の特産物であった。
鍛冶町は、鍛冶職の棟梁職人が居住していたことに由来。刀鍛冶や鉄砲鍛冶のほかに農具を作る野鍛冶も住んでいた。当町の裏通りを鍛冶町裏ともいった。
鍛冶町には、江戸日本橋を起点にした奥州街道の第139番目の一里塚が置かれ、駅所(えきしょ)として賑わったところである。町中にあったため塚は築かれなかった。
紙町は、上の橋の両詰に上方の紙商人を住まわせたことに由来。盛岡で初めて紙が漉かれたのは、寛文9年(1669年)。筆墨も商ったため、紙町の東詰に天満宮が祀られていた。
「紺屋町番屋」付近


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