内丸(うちまる)

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広報ID1009413  更新日 平成28年8月21日 印刷 

内丸(うちまる)

江戸時代、盛岡城の内堀と中堀の間に囲まれた区域を内丸と称したことに由来。藩主の一家・一門など高知(たかち)という重臣の武家屋敷が置かれた地域であった。寛永13年(1636年)、3代藩主南部重直は御新丸という別郭を造っている。中堀は堀と土塁が廻らされ、外の町と区切られていた。東に中ノ橋御門、北に大手先(おおてさき)御門、西に日影御門があり、番所の検問を受けなければ入れなかった。明治3年(1870年)に門が撤去、堀も埋められて出入が自由となった。武家屋敷も払い下げられて取り壊された。

明治維新後は、盛岡県の県庁(明治5年以後は岩手県庁)が置かれ、官庁街として発展する。明治13年(1880年)には岩手中学校が設立され、同32年(1899年)に岩手県盛岡中学校(現県立盛岡第一高校の前身)と改称し、石川啄木や宮沢賢治などを輩出。明治22年(1889年)に盛岡市制が施行され、盛岡市役所が置かれた。

なお、国指定天然記念物・石割桜のある盛岡地方裁判所の場所は、江戸時代に北家の武家屋敷だったところである。

「県公会堂」付近

昭和54年(1979年)の写真
昭和54年(1979年)
平成21年(2009年)の写真
平成21年(2009年)

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