上田組町(うえだくみちょう)
広報ID1009411 更新日 平成28年8月21日 印刷
上田組町(うえだくみちょう)
足軽同心組の武家屋敷地であったことに由来。上田同心町とも呼び、上田町とも称した。
盛岡藩では城下の北の関門として、奥州街道口に土手を廻らし柵を設けた枡形(ますがた)を造り、上田惣門とした。この枡形に至る道の両側に足軽組が配置されていた。各組30人ずつの足軽組が5つあった。茅葺き屋根の屋敷が並び、家屋はほとんど同じ形の小郎党家(ころどや)で、屋敷の境はひば垣であった。この足軽が内職として作った草履表は、江戸で南部表(なんぶおもて)と称され、藩の特産物であった。各戸にグミの木が植えられたことから、上田ぐみ町と俗称されることもあった。
枡形の外側には数軒の茶屋があり、「上田茶屋」と呼ばれた。
上田堤は、盛岡城下の建設に際し河北地域の治水上最も重要な施設であった。4つの堤があったが、現在は中堤・下堤が「高松の池」と呼ばれ、景勝地となっている。
この地域は近代に入ると、盛岡高等農林学校、盛岡中学校、県立工業学校、盛岡高等工業学校などが次々と建設され、文教地区として発展して行った。
「上田踏切」付近


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