第104回:三田定則(みたさだのり)

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広報ID1009633  更新日 平成30年12月12日 印刷 

三田定則(1876年~1950年)

血清化学・法医学者

三田定則(みたさだのり)の写真

三田定則(旧姓:関)は1876年(明治9年)1月27日、岩手郡仁王村仁王小路(現:盛岡市中央通)にて旧盛岡藩士関定昌の3男として生まれた。幼いころから優秀で、その才幹を見込まれ数え年29歳の時に三田俊次郎の養子となる。
1893年(明治26年)、法医学の父と言われる片山国嘉(かたやまくにか)が帝国大学医科大学(現:東京大学医学部)法医学講座の初代教授となる。三田は1901年(明治34年)12月に同大学を卒業、翌年1月に助手となり、のちには片山の後を受けて第2代法医学講座担任となる。1909年(明治42年)3月には欧州へ留学、約3年間を研究に費やす。1918年(大正7年)8月には東京帝国大学医科大学教授となり、翌年に血清学教室(現:免疫学教室)を創設した。三田は1936年(昭和11年)1月27日に退官するまでの約22年間、同大学で高野素十(たかのすじゅう)ら多くの生徒を育てている。同年の2月23日には台北帝国大学医学部長として台湾に赴任、翌年には同大学総長に就任した。1942年(昭和17年)4月には郷里に戻り岩手医学専門学校第2代校長となり、戦後の学制改革の際には同校を大学に昇格させ、初代学長に就任した。
三田定則の実兄に関定孝(せきさだたか)がいる。関は盛岡の女子教育の発展に努め、1901年(明治34年)10月からは第3代盛岡市長を務めている。

掲載日:平成21年1月25日

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