第115回:中井汲泉(なかいきゅうせん)

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広報ID1009644  更新日 平成30年12月17日 印刷 

中井汲泉(1892年~1970年)

染絵の美に生きた人

中井汲泉(なかいきゅうせん)の写真

中井汲泉(本名:政治郎)は1892年(明治25年)7月1日、京都市上京区に生まれた。京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸大)で竹内栖鳳(たけうちせいほう)らから日本画を学ぶ。2年生で「煉瓦窯」により文展初入選を果たすが、教師の目を通さずに出品したことから逆に叱責される。翌年教師に提出したが、修正の命令に納得せず、以降は官展公募展を問わず出品することはなかった。
汲泉は岩手県立盛岡中学校(現:盛岡第一高等学校)から図画教師の誘いを受ける。一旦辞退したが、盛岡からやってきた使者の“雪景色もまたようござんすよ”の一言で即座に盛岡行きを決心、1929年(昭和4年)、37歳で盛岡中学校に着任した。汲泉の授業は、生徒に自由に描かせてその個性を見守るように指導するものであった。職務のかたわらに県産木材を使い、この地方ならではの郷土玩具の制作も行った。退職後は岩手の風俗や方言を県外に紹介する目的も兼ねて「盛岡方言絵はがき集」の制作を手掛ける。また日本の代表的な民俗絵画「大津絵」に想を得て、「南部絵」の制作を志す。しかし、一点ずつ筆で描くのは量産に限界があり、研究を重ねて到達したのが、木綿の布に糊で描き、染めて地色を白く残すという「染絵」の技法だった。1956年(昭和31年)には郷土玩具や染絵を通して岩手の民芸を全国に紹介した功績により、岩手日報文化賞を受賞した。
その飄々とした人柄は多くの人に親しまれたが、受賞した年に27年間過ごした盛岡から帰郷した。京都では工芸喫茶「わびすけ」を開店し、染絵や絵はがきを中心とした創作活動を行う。その芸術家としての意欲は晩年も衰えることはなく、1970年(昭和45年)に78歳で他界する直前まで制作を続けた。1974年(昭和49年)の汲泉の命日に、彼を偲ぶ教え子と友人らによって、盛岡市北山の法泉寺境内に「汲泉画碑」が建立されている。

掲載日:平成21年7月10日

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