第106回:石川啄木(いしかわたくぼく)

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広報ID1009635  更新日 平成30年12月14日 印刷 

石川啄木(1886年~1912年)

盛岡ゆかりの詩人

石川啄木(いしかわたくぼく)の写真

石川啄木(本名:一)は1886年(明治19年)2月20日、南岩手郡日戸村(現:盛岡市日戸)にて常光寺の住職石川一禎、カツの長男として生まれた。その翌年、一家は渋民村(現:盛岡市玉山区渋民)の宝徳寺に居を移す。
1895年(明治28年)、幼きころより優秀だった啄木は岩手郡下に一つしかない高等小学校へ通うため、親元を離れて盛岡で暮らす。その後1902年(明治35年)に盛岡中学校(現:盛岡第一高等学校)を中退するまでの7年間を盛岡で過ごしている。啄木は学生時代に文学活動にいそしむ。金田一京助を介して与謝野鉄幹が主催した『明星』に親しんだのもこのころである。文学に志を立てた啄木は上京し、1905年(明治38年)には詩集『あこがれ』を出版する。しかし父一禎の住職罷免などにより、啄木は一家の生活を担う義務と向かい合わなければならなかった。そのため職を転々としながら盛岡、渋民、函館、小樽などに移り住んだ。しかし1908年(明治41年)4月、再び文学に身を投じるべく上京、東京朝日新聞校正係をしながら、1910年(明治43年)には初の歌集『一握の砂』が、亡くなった1912年(明治45年)の6月には第二歌集『悲しき玩具』が刊行された。
啄木の故郷渋民に彼の歌碑ができたのは1922年(大正11年)4月のことだった。地元の青年たちの手によって建てられたこの碑の裏には“無名青年の徒之を建つ”とあり、表には啄木の歌“やはらかに柳あをめる北上の岸邊目に見ゆ泣けとごとくに”が刻まれている。

掲載日:平成21年2月25日

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