第130回:横田チエ(よこたちえ)

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広報ID1009659  更新日 平成30年12月17日 印刷 

横田チエ(1901年~1979年)

婦人社会運動家

横田チエ(よこたちえ)の写真

横田チエ(旧姓:小野寺)は1901年(明治34年)、二戸郡鳥海村(現:一戸町)にて木炭商の小野寺伝吉、リセの長女として生まれた。1920年(大正9年)、岩手女子師範学校(現:岩手大学教育学部)を卒業後、小学校教諭となる。
同僚で無産運動家の横田忠夫と結婚したため教職を追われたチエは、無産運動に飛び込み東京や大阪を転々とした。のちに帰盛し、1933年(昭和8年)に忠夫が盛岡市議会議員選挙に最高点で当選する。しかし時代は徐々に軍国主義へと傾斜し、無産運動は封じられ忠夫は失意のうちに自殺する。チエは未亡人として2人の子どもを抱え、“国賊の後家”と後ろ指を指されながらも、厳しい時代を生き抜いた。
終戦後、チエは夫が戦死して生きて行くめどのたたない未亡人らの救済を訴え、1947年(昭和22年)に盛岡市議会議員選挙に出馬、女性として初めて当選する。また1959年(昭和34年)に初の女性岩手県議会議員となり、本県女性議員の先駆者となった。
チエは一貫して母子福祉、女性の地位向上に努めた。1948年(昭和23年)、岩手県母子寡婦福祉連合会の前身である「岩手みどり会」を結成、初代会長として母子家庭の生活相談や資金貸付、職場開拓など女性の社会参加を促す運動を行った。また女性らに仕事と生きる糧を与えるために、1958年(昭和33年)に創設されたホームスパンを手がける会社「みちのくあかね会」の社長や会長も歴任している。
小柄ながら強い意志を持ち、社会的に弱い立場の者のために生涯を捧げた横田チエは、1979年(昭和54年)に数え年79歳でこの世を去った。

掲載日:平成22年2月25日

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