第107回:那珂通世(なかみちよ)

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広報ID1009636  更新日 平成30年12月14日 印刷 

那珂通世(1851年~1908年)

東洋史学者

那珂通世(なかみちよ)の写真

那珂通世(幼名:荘次郎)は1851年(嘉永4年)1月6日、盛岡馬場小路(現:盛岡市馬場町)にて盛岡藩士藤村政徳、弁子の3男として生まれた。藩校明義堂で教授江帾(えばた)通高(号:梧楼)に見込まれ、1866年(慶応2年)にその養子となり江帾(えばた)小五郎通継と改名する。1889年(明治2年)、養父が那珂に復姓した後に、名を通継から通世と改めて那珂通世となる。
1871年(明治4年)、秋田戦争の敗戦の責任により幽囚されていた養父が赦免され、東京に居を構える。そのため通世も上京し福沢諭吉の主宰する慶応義塾に通った。その後山口県や千葉県で教師として働き、第一高等中学校教授、高等師範学校教授、東京帝国大学文科大学講師などを歴任、1901年(明治34年)には文学博士の学位を与えられた。通世の専攻は東洋史であり、1888年(明治21年)から2年にわたり『支那通史』を、また1907年(明治40年)には『成吉思汗(ちんぎすはん)実録』を刊行した。『支那通史』は宋代以前の中国の歴史を、『成吉思汗(ちんぎすはん)実録』は未整理だった元代の歴史をまとめており、どちらも名著として今なお名高い。また1894年(明治27年)、通世は会合の席で、外国史を従来の「支那学」と「万国史」ではなく、中国以外の東洋の国々の歴史を含んだ「東洋史」と「西洋史」の二つに分けることを主張、これが認められた。この名称は現在でも使われており、そのため通世は東洋史学の創設者の一人として知られている。
博覧強記を以て評され、学問に熱心に取り組んだ通世だが、囲碁や自転車などの趣味にも熱心だった。その様子は“其の学ぶや一心不乱其の遊ぶや亦一心不乱にして君の如きは真に善く学び善く遊ぶの人なりき”と書かれている。

掲載日:平成21年3月10日

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