第112回:藤田謙(ふじたけん)

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広報ID1009641  更新日 平成30年12月17日 印刷 

藤田謙(1890年~1980年)

南部紫根染(なんぶしこんぞめ)を再興伝承した人

藤田謙(ふじたけん)の写真

藤田謙は1890年(明治23年)6月14日、藤田彬郎の三男として盛岡市に生まれた。染色技術を習得するため京都に遊学したが、後に帰郷し南部紫根染(なんぶしこんぞめ)の復興に尽くす。
南部紫根染(なんぶしこんぞめ)は、古くから伝わるムラサキという植物の根からとった染料を使った草木染である。江戸時代には盛岡藩の特産として幕府にも献上され、手厚い保護の下に生産されたが、明治維新後は藩による管理体制が崩壊し衰退の一途をたどった。
1918年(大正7年)、南部紫根染(なんぶしこんぞめ)の復興を目指した盛岡の実業家中村治兵衛(なかむらじへい)により、南部紫根染(なんぶしこんぞめ)研究所が開設される。藤田は研究所主任として招かれ、染色技術の復興と新しい技術の開発に努めた。絞り柄の改良にも努め、これまで比較的大柄だったものに、和服へも利用できる小柄のものを考案し数多く取り入れている。1933年(昭和8年)1月には研究所を辞し、同年5月に紫根染専門の店「草紫堂(そうしどう)」を紺屋町に開店させた。藤田は独立後も紫根染めの研究を重ね、国内外で数々の賞を受賞している。
1974年(昭和49年)、藤田の制作した植樹文絵羽着尺(しょくじゅもんえばきじゃく)が、第25回全国植樹祭のため来県された皇后陛下へ岩手県から献上されている。この制作依頼が打診された時、藤田は既に83歳の高齢に達していた。さらには胃潰瘍による多量の吐血を繰り返し病院で治療を受けていたが、それにもかかわらず制作を引き受けている。献上された植樹文絵羽着尺(しょくじゅもんえばきじゃく)は、上方に裏岩手の山容と澄み切った空を、下方には北上川の清流を配し、中央に五葉の松と種子を散らした模様となっている。これが藤田の遺作となった。

掲載日:平成21年5月25日

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