第101回:高橋嘉太郎(たかはしかたろう)

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広報ID1009630  更新日 平成30年12月12日 印刷 

高橋嘉太郎(1852年~1928年)

新聞界に活躍した人・岩手毎日新聞創刊者

高橋嘉太郎(たかはしかたろう)の写真

高橋嘉太郎は1852年(嘉永5年)2月7日、和賀郡二子村(ふたごむら)(現:北上市)にて農業を営んでいた高橋嘉兵衛、ツギの長男として生まれた。17歳の時に盛岡藩兵として秋田戦争に従軍している。
1873年(明治6年)から二子村(ふたごむら)の副戸長をしていた嘉太郎は、1876年(明治9年)、官選により下総の国立牧羊場に派遣された。帰郷後しばらくは県の役人をしたが、1882年(明治15年)に岩手県議会議員となる。以後、県議会議員選挙に6回、1908年(明治41年)より衆議院議員選挙に2回当選し、政治家として活躍した。
1899年(明治32年)2月22日、嘉太郎は「岩手毎日新聞」を創刊した。1897年(明治30年)には「岩手日報」が、「岩手毎日新聞」の後には「巌手公論」が相次いで創刊し、激しい競争を繰り広げたが、後には「岩手毎日新聞」と「岩手日報」の2紙が残った。「岩手毎日新聞」は、石川啄木の友人であり俳人でもあった岡山不衣(ふい)を迎え、紙面の充実に努めた。嘉太郎は1924年(大正13年)に、同紙に連載した内容をまとめた『岩手懸下之町村』を出版している。1928年(昭和3年)12月8日、岩手毎日新聞社社長在任のまま病没したため、社葬により弔われた。
「岩手毎日新聞」は1933年(昭和8年)まで発行されたが、嘉太郎の死後は郷土史家の新渡戸仙岳が社長を務めている。

掲載日:平成20年12月10日

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