第121回:清水七太郎(しみずしちたろう)

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広報ID1009650  更新日 平成30年12月17日 印刷 

清水七太郎(1889年~1967年)

岩手洋画発展の功労者

清水七太郎(しみずしちたろう)の写真

清水七太郎は1889年(明治22年)3月18日、南岩手郡仁王村本町(現:盛岡市本町通)にて近七味噌醤油店の6代目清水七左衛門の長男として生まれた。1912年(明治45)、東京美術学校西洋画科(現:東京藝術大学)に入学したが、間もなく父が急逝した。そのため長男である七太郎の進路を巡り親族会議が開かれ、「商人としての素質がない」ということで絵の道に進むことを許された。
世話好きだった清水は上京した後輩の面倒をよくみたことから「七っつぁん」の愛称で慕われた。県出身の東京美術学校生らが中心に組織した岩手初の洋画団体「北虹会(ほっこうかい)」の中心人物として活躍する。1915年(大正4年)には清水が中心となり、盛岡在住の洋画家たちによる美術団体「七光社(しちこうしゃ)」を設立した。「七光社(しちこうしゃ)」には五味清吉、橋本八百二らも参加しており、清水はこれらの在京画家と岩手をつなぐ橋渡し役となり、岩手の洋画界の発展に大きく貢献した。
清水は東京美術学校の5年先輩にあたる萬鐵五郎と親交があったことでも知られている。萬の七光社(しちこうしゃ)への出品は清水が仲介した。またアトリエ探しや絵の頒布などの萬の頼みごとを引き受けており、萬の晩年の苦しい生活を支えた。萬もまたそんな清水に目をかけ、自分の主宰した円鳥会や会員である春陽会に出品することを勧め、清水の制作に助言している。
文化服装学院や目白中学の教師を務める傍ら画業を続け、東京や盛岡で個展を開いたが、1964年(昭和39年)に数え年76歳で長女の住むブラジル・サンパウロに移住、その3年後、異国にて79歳の生涯を終えた。

掲載日:平成21年10月10日

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