第111回:佐藤清右衛門(さとうせいうえもん)

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広報ID1009640  更新日 平成30年12月17日 印刷 

佐藤清右衛門(1846年~1929年)

盛岡金融界の先覚者・盛岡銀行初代頭取

佐藤清右衛門(さとうせいうえもん)の写真

佐藤清右衛門は1846年(弘化3年)5月14日、岩手郡向中野村(現:盛岡市向中野)にて7代目徳田屋清右衛門の子として生まれた。徳田屋は盛岡市仙北町の豪商「徳清(とくせい)」として知られている。
「徳清(とくせい)」は寛文年間末期(1670年代初め)の創業で、酒・味噌・醤油などの醸造業を行っていたが、後に米屋を営むようになり、盛岡藩の御用商人になっている。
清右衛門は、若いころに小野組の支店で3年間奉公、そこで商売を覚え明治の初めに9代目徳田屋清右衛門となる。「徳清(とくせい)」は清右衛門が当主のころに非常に繁盛し、盛岡きっての豪商となる。清右衛門は家業のみならず、地元の経済界でも活躍した。1885年(明治18年)、北上川舟運を行う北上廻漕会社(ほくじょうかいそうがいしゃ)の設立に参画した。同社のメンバーはのちに「北上派(ほくじょうは)」とよばれ、以後の盛岡経済界において華々しい活躍を見せた。また彼らは1889年(明治22年)に盛岡財界人の談話会である「盛岡交話会」を発足させ、1896年(明治29年)に盛岡銀行、1905年(明治38年)には盛岡初の電気会社である盛岡電気株式会社を設立した。清右衛門は北上派(ほくじょうは)の中心であり、盛岡銀行創立時には初代頭取となっている。また盛岡市議会議員、貴族院議員などを務め、政界でも活躍した。
仙北町の明治橋際にある現在の邸宅は、1887年(明治20年)ごろ佐藤清右衛門が建てたものである。盛岡城解体時に払い下げとなった木材が多く使用されており、1977年(昭和52年)に盛岡市保存建造物に指定された。

掲載日:平成21年5月10日

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