第105回:高橋伊兵衛(たかはしいへえ)

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広報ID1009634  更新日 平成30年12月13日 印刷 

高橋伊兵衛(1866年~1952年)

盛岡金融界の先覚者・盛岡信用組合創立者

高橋伊兵衛(たかはしいへえ)の写真

高橋伊兵衛(本名:政道)は1866年(慶応2年)2月8日、盛岡六日町(現:盛岡市下ノ橋町)にて文房具や書籍の販売を営んでいた高橋藤太郎政令(まさよし)、ろくの長男として生まれた。高橋家は「十一屋」の屋号を持つ老舗であり、慶長年間(1596年~1615年)に初代高橋甚右衛門祐政が、士分を捨て盛岡で店を構えたのが始まりである。
伊兵衛が数え年4歳の1869年(明治2年)に父政令(まさよし)が、9歳の1874年(明治7年)には祖父伊兵衛政直が相次いで亡くなる。そのため家業は母ろくがこなし、伊兵衛は盛岡小学校(現:盛岡市立城南小学校)卒業後、肴町の大黒屋へ商業見習いに行く。1886年(明治19年)、家業を再興した伊兵衛は洋食料品の販売を始めた。
1902年(明治35年)12月、中小の小売業者への低利の資金融通を目的とした盛岡信用組合(現:盛岡信用金庫)の設立が有志により議決される。翌年の1月19日に知事より認可が下り、伊兵衛は組合長として自宅の一室を事務所としてその任に当たった。伊兵衛の人柄は正直で誠実であり、知人からの信用は絶大であった。そのため1931年(昭和6年)の金融パニックの際も、同組合はその難を逃れている。
伊兵衛は体も小さく、幼いころから病弱でもあった。しかし弓道を嗜むようになってからは健康になり、自宅に弓道場を構えて1時間ほど弓を引くのを日課とした。

掲載日:平成21年2月10日

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