第128回:太田孝太郎(おおたこうたろう)

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広報ID1009657  更新日 令和1年7月29日 印刷 

太田孝太郎(1881年~1967年)

金石文・郷土史家

太田孝太郎(おおたこうたろう)の写真

太田孝太郎は1881年(明治14年)7月15日、旧盛岡藩士太田小二郎の長男として生まれた。1906年(明治39年)に早稲田大学政治経済学科を卒業、その後横浜正金銀行に入行し、本店勤務をへて中国の天津支店に勤務した。この間に中国古印を研究する。収集した印は1000点を超え、現在では3点しかないという隋代の印や珍しい玉印も含まれており、世界でも有数のコレクションと言われている。
1784年(天明4年)に筑前国那珂郡志賀村(現:福岡市東区志賀島)から出土した「漢倭奴国王印」は、1931年(昭和6年)12月14日に国宝に指定された。しかし形式や発見の経緯に不自然な点があることから、近世に偽造された贋作であるとの説が幾度も唱えられた。これに対して太田は、「「漢委奴國王」印文考」と題する論文を1952年(昭和27年)に発表しており、現在の通説と同じく真物であると主張している。
横浜正金銀行退職後、太田は1920年(大正9年)に父小二郎の後を継いで盛岡銀行支配人に就任、同行常務取締役、頭取を歴任した。また、盛岡倉庫株式会社取締役社長や岩手日報社取締役社長を務めるなど、実業家としても活躍した。
一方、盛岡を代表する郷土史家としても知られ、太田が編纂した『南部叢書』、『盛岡市史』は盛岡の郷土史研究に欠かせない史料となっている。
祖父孝は書家として知られたが、太田孝太郎も夢庵と号し、篆書(てんしょ)や隷書(れいしょ)のほかに殷墟文字(いんきょもじ)など学問的知識を駆使した書を多く残した。“諸家に参じ模倣を嫌い、その範疇以外に逸出せんとするも、篆隷以外、年を重ぬるも未だ未成の中にある”。『盛岡市史』に記された太田の書についての評である。

掲載日:平成22年1月25日

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