第124回:鈴木盛久(すずきもりひさ)

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広報ID1009653  更新日 令和4年6月17日 印刷 

鈴木盛久(1896年~1976年)

南部鉄器の伝統伝承者

鈴木盛久(すずきもりひさ)の写真

鈴木盛久(本名:繁吉(はんきち))は1896年(明治29年)2月14日、盛岡市生姜町(現:盛岡市南大通一丁目)にて12代鈴木盛久の長男として生まれた。鈴木家は代々御鋳物師として盛岡藩に仕えた家柄であり、盛久も15歳から父の下で厳しい修業を積み、鋳造技術を身につけた。1924年(大正13年)、父の死により数え年29歳で13代盛久を襲名した。
1946年(昭和21年)から日展に連続入選し、1952年(昭和27年)の第8回展では「八卦紋独楽釜」で岩手工芸界初の特選に選ばれた。一方、海外においても1929年(昭和4年)のベルギー・リェージュ万国博覧会美術部門で金賞を受賞、さらに1959年(昭和34年)、ベルギー・ブリュッセル万国博覧会でグランプリを受賞するなど国内外でその技術が認められている。そのため1974年(昭和49年)、南部鉄器職人としては初めて記録作成等の措置を講ずべき無形文化財として選択された。
盛久は南部鉄瓶の技術保存活動にも尽力した。日中戦争が始まると1938年(昭和13年)に「鉄統制令」が施行された。その3年後には鉄製品の製造が全面的に禁止となり、南部鉄瓶は断絶の危機に瀕した。盛久は伝統を守るため、8代小泉仁左衛門らと再三に渡り政府に陳情した。その結果、優れた工人16名に限り年間20個以内の製造を許され、盛久もこの一人に選ばれた。1943年(昭和18年)には「南部鉄瓶技術保存会」が結成され、同志とともに南部鉄瓶の技術の継承に努めた。
盛久は茶の湯釜を制作するにあたり、茶の心を知るため茶道を学んだ。盛久の釜は茶に適しており、また奥深い味わいがあると言われたが、これは茶道に徹したことによるものであった。

掲載日:平成21年11月25日

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