第51回:照井一宅(てるいいったく)

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広報ID1009579  更新日 平成30年12月10日 印刷 

照井一宅(1819年~1881年)

漢学者

照井一宅(本名:全都、通称:小作)は1819年(文政2年)、盛岡にて盛岡藩士照井小兵衛全秀の子として生まれた。一宅は号であり、その他にも蟷螂斎(とうろうさい)を名乗っている。
天保年間、父小兵衛は主君南部利済(としただ)の怒りにより、録を取り上げられ山野に家居する。この間一宅は、父の病気の看病と農業を営みながら、家に残っていた四書に親しんだ。後年古沢温斎の門に入って勉学し、藩校作人館助教に任ぜられた。作人館には那珂梧楼(なかごろう)がいたが、“定見の確かさは金城鉄壁の如く抜くべからざる者がある”と一宅について嘆賞している。1869年(明治2年)、東次郎の盛岡藩大参事就任とともに少参事となり、その新政を助けた。
一宅は漢学者であり、五経、左氏、国語、孟子、荀子、荘子の研究に及び、その中でも荀子に最も長じていた。その学は必ずも広くなく、遺著も『論語解』、『孟子解』、『大学中庸解』などしかなかったが、清代の漢学者章炳麟(しょうへいりん)は“全都ハ千四百紀以後ニ生マレ、独リ能ク高励長駕ス、ソノ微綸ヲ引キ既ニ沈マントスル九鼎ヲ釣リ而シテ之ヲ絶淵ニ出ス云々”と一宅の学問を礼讃している。
“古書を学ぶにはたとえば、餅を作るように反覆(はんぷく)こねまぜて一点のかたまりもなくするようにして始めて得るところがある”と一宅は述べており、その学問における姿勢は注釈ではなく本文を熟思することを重視していた。

掲載日:平成18年11月10日

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