第85回:内藤春治(ないとうはるじ)

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広報ID1009613  更新日 平成30年12月12日 印刷 

内藤春治(1895年~1979年)

鋳金(ちゅうきん)家・東京芸術大学教授

内藤春治(ないとうはるじ)の写真

内藤春治は1895年(明治28年)4月1日、南岩手郡米内村関口(現:盛岡市愛宕町)にて内藤運吉、サトの次男として生まれた。学校をサボり近所の三ツ石神社に道具を置いて遊びにいったりしたため、兄が働いていた釜師有坂安太郎のもとに連れて行かれ、鋳金(ちゅうきん)を始める。
1914年(大正3年)6月、盛岡市愛宕山南麓に南部鋳金(ちゅうきん)研究所が設立される。内藤は1916年(大正5年)からここで鋳金(ちゅうきん)の勉強を本格的に始めた。1919年(大正8年)4月には上京、鋳金(ちゅうきん)家香取秀真(かとりほつま)から意匠図案の指導を仰いだ。翌年に東京美術学校(現:東京藝術大学)へ入学、アール・ヌーボーに刺激を受けた新しい工芸運動に参加し、工芸団体「方壺会(ほうこかい)」(昭和3年に「凸凹会(でこぼこかい)」と改名)を結成した。1926年(大正15年)には高村豊周らと「无型」、1935年(昭和10年)には「実在工芸美術会」などを結成、幾何学的な構成や実用性の高い作風を追求した。1928年(昭和3年)からは母校の助手となり、1962年(昭和37年)に東京藝術大学教授として退官するまで多くの学生を指導している。
動物を題材にすることを好んだ内藤は、1967年(昭和42年)の第10回日本美術展覧会に「赤とんぼ」という作品を出品している。この作品はネコの鋳金(ちゅうきん)であり、トンボの動きを追うネコの視線が題名となった。

掲載日:平成20年4月10日

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