第83回:三田俊次郎(みたしゅんじろう)

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広報ID1009611  更新日 平成30年12月12日 印刷 

三田俊次郎(1863年~1942年)

岩手医科大学創立者

三田俊次郎(みたしゅんじろう)の写真

三田俊次郎は1863年(文久3年)3月3日、盛岡磧町(かわらちょう)(現:盛岡市加賀野)にて盛岡藩士三田義魏(よしたか)、キヨの次男として生まれた。甲種岩手医学校卒業後、母校での勤務などをへて、東京帝国大学医学部選科の河本重次郎教授のもとで眼科学を学び、1891年(明治24年)4月に同科を修了した。
帰郷した俊次郎は眼科を開業したが、1897年(明治30年)、空いていた県立岩手病院の建物を借り受け私立岩手病院(現:岩手医科大学附属病院)を、1901年(明治34年)には私立岩手医学校を創設(1912年(明治45年)廃校)した。また岩手育英会や盛岡実科高等女学校(現:岩手女子高等女学校)の創設にも関わり、本県教育界にもその足跡を残している。早くから盛岡に医学校を置くことの必要性を説いていた俊次郎は、1928年(昭和3年)に文部省の認可を得て、岩手医学専門学校を設立し初代校長に就任した。同校は戦後の学制改革により大学に昇格、現在も岩手医科大学として本県の医療教育の根底を支えている。
“世の中で最も哀れむべき者は結核病者と癩病者と精神病者である”と日ごろから口にしていた俊次郎は、岩手サナトリウム(結核療養所)と岩手保養院(精神科病院)を設立、赤字だったにもかかわらずその経営を続けた。

掲載日:平成20年3月10日

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