第54回:鈴木彦次郎(すずきひこじろう)

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広報ID1009582  更新日 平成30年12月10日 印刷 

鈴木彦次郎(1898年~1975年)

作家・新感覚派を興した人

鈴木彦次郎(すずきひこじろう)の写真

鈴木彦次郎は1898年(明治31年)12月27日、東京市深川区島田町(現:東京都江東区)にて当時東京朝日新聞の記者だった鈴木巖(いわお)、ハナの次男として生まれた。幼少のころ父母とともに帰郷し、1911年(明治44年)4月、盛岡中学校(現:盛岡第一高等学校)に入学、学生時代を盛岡で過ごした。
1920年(大正9年)9月に東京帝国大学文学部英文科へ入学し、在学中に川端康成、石浜金作、今東光らとともに第6次『新思潮』を継承、新感覚派と呼ばれる文学活動を開始した。『文芸春秋』、『文芸時代』などを発表の場とし、戯曲(ぎきょく)「マウントヴーノンの昼」や小説「7月の健康美」などを執筆する。1932年(昭和7年)ごろからは相撲小説、時代小説などの大衆文学に移行し、「土俵」や「両国梶之助」などの作品を残した。1944年(昭和19年)3月、鈴木は盛岡に疎開する。以降はそのまま盛岡に住み続け、郷土を題材とした「常磐津林中(ときわずりんちゅう)」や「自由の征矢(そや)」などの長編を発表した。また岩手県立図書館館長、岩手県教育委員長、岩手県文化財愛護協会会長として郷土文化の向上に尽くす一方、文芸誌『北の文学』やタウン誌『街』の発行に関わり、地元の後進指導に務めた。
1968年(昭和43年)1月、『街』の創刊号に“この「杜の都」社の小冊子も、はではでしくはなくても、そうした盛岡の味が、行間に、しっとりにじみ出てくればいいが―と念願している。”と鈴木は書いている。『街』は創刊から38年を数えて、今も続いている。

掲載日:平成18年12月25日

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