第55回:高橋佐太郎(たかはしさたろう)

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広報ID1009583  更新日 平成30年12月10日 印刷 

高橋佐太郎(1885年~1971年)

盛岡バス事業の創始者

高橋佐太郎(たかはしさたろう)の写真

高橋佐太郎は1885年(明治18年)1月7日、和賀郡鬼柳村大字西鬼柳(現:北上市)にて高橋彦治、トラの4男として生まれた。1908年(明治41年)、父彦治の死去後上京し、東京鉄道で電車運転手を務めた。
その後、貿易商箕田長三郎やビール王と呼ばれた馬越恭平のお抱え運転手を務め、1904年(大正3年)には貸切自動車会社を開業する。1924年(大正13年)には盛岡で市街バス事業の許可願を提出、同年に許可が下り、盛岡駅から八幡宮までの中央線をはじめ3路線を稼動させた。料金は全区間(3区間)で30銭と高めだったが、駅前に100台近く客待ちしていた人力車よりもいくらかは安かった。また、そのころ長距離バスはあったが市街バスは珍しく、客足も徐々に伸び、翌年には30人乗りのフォード製の大型バス2台を購入するまでとなる。1941年(昭和16年)、盛岡市街バスが盛岡バス株式会社となると社長に就任、同社はのちに他の会社と統合し、1976年(昭和51年)に現在の岩手県交通株式会社となった。また佐太郎はバス事業だけではなく、県の自動車販売業や交通運輸業界にも貢献した。
佐太郎はポーカーが好きだった。孫の佐輔氏は佐太郎のゲームから“相手より弱い手で勝つ方法のかけひきを十分勉強させてもらいました”とその思い出を書いている。

掲載日:平成19年1月10日

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