第65回:煙山専太郎(けむやませんたろう)
広報ID1009593 更新日 令和6年6月25日 印刷
煙山専太郎(1877年~1954年)
世界史学者・ロシア史の先駆者
煙山専太郎は1877年(明治10年)6月3日、九戸郡大川目村(現:久慈市)にて小学校の教師だった煙山猶奴(ゆうど)、トセの長男として生まれた。南岩手高等小学校(現:下橋中学校)、岩手県尋常中学校(現:盛岡第一高等学校)をへて、1902年(明治35年)7月に東京帝国大学文科大学哲学科を卒業した。
煙山には『征韓論実相』、『西洋最近世史』、『世界大勢史』など西洋の近・現代史に関する多くの著作がある。特に『近世無政府主義』は、幸徳秋水をはじめとした当時の社会主義者に大きな影響を与えた。また歌人会津八一(あいづやいち)に「本物の学者」と称されるほどの碩学(せきがく)だったが、名利を嫌い、当時の帝国大学における学閥主義からは距離をとった。1902年(明治35年)には恩師有賀長雄の推薦により早稲田大学講師となり、その後約半世紀にわたって同大学で教鞭をとったが、生涯博士号を得ることはなかった。
1905年(明治38年)、29歳の時に煙山は「盛岡中学校校友会雑誌」にこう書き残している。“(略)村市に隠れて多く世人の口舌に上らずとも、其責の更に顕栄尊貴の人と異なる所なく、其行動の影響する所、極めて大なるものあるを確信し、以て自ら居る所。卑屈なることあるべからず。(略)”
掲載日:平成19年6月10日
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