第72回:杉村陽太郎(すぎむらようたろう)

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広報ID1009600  更新日 令和1年9月17日 印刷 

杉村陽太郎(1884年~1939年)

外交官二代・国際的外交人

杉村陽太郎(すぎむらようたろう)の写真

杉村陽太郎は1884年(明治17年)9月28日、東京府四谷区須賀町(現:東京都新宿区須賀町)にて旧盛岡藩士杉村濬(ふかし)、ヨシの長男として生まれた。第一高等学校(現:東京大学教養学部)、東京帝国大学法科大学政治学科をへて、父濬(ふかし)と同じ外交官となる。
1908年(明治41年)に領事館補としてフランスのリヨンに赴任、1921年(大正10年)12月にはワシントン軍縮会議に出席する加藤友三郎海軍大臣らに随行し、その手足となって精力的に働いた。1923年(大正12年)、駐仏大使の石井菊次郎に勧められ国際連盟帝国事務局長に、1927年(昭和2年)には新渡戸稲造の跡を継いで国際連盟事務次長の職についた。新渡戸は陽太郎の後任について、“杉村君は真にもののあわれを知る日本人である。”と言って喜んだ。日本の国際連盟脱退後にはイタリアやフランスの特命全権大使を務めている。
陽太郎は5尺9寸(約178.7センチメートル)を越す体躯を誇り、心身ともに頑丈だった。また食いだめもでき、“四、五日位寝なくてもなんともないし、飯だって一日位の欠食は少しも痛痒を感じない。あとで二日分でも三日分でも食うからよい”と同じ外交官の出渕勝次に話している。それを聞いて出渕は、“アフリカの砂漠の駱駝のような話をしていた”とのちに書いている。

掲載日:平成19年9月25日

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