第90回:佐藤公一(さとうこういち)

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広報ID1009618  更新日 平成30年12月12日 印刷 

佐藤公一(1889年~1961年)

組合医療・保健の功労者

佐藤公一(さとうこういち)の写真

佐藤公一は1889年(明治22年)6月20日、東磐井郡渋民村(現:一関市大東町)にて農業を営む佐藤作治、ヒロの長男として生まれた。教育の必要性を感じた父作治は、公一を盛岡の私立江南義塾(現:江南義塾盛岡高等学校)、岩手県立農学校(盛岡農業高等学校)へ通わせた。農学校時代の同級生には島善鄰がいる。
小学校代用教員、農業技術員などをへて、1920年(大正9年)に東磐井郡産業組合主事補となった。以後農民の福利厚生を目指した産業組合運動に身を投じる。このころ農村は死亡診断書を書く者がいないほど医者不足であり、1931年(昭和6年)の時点で、県下237町村のうち無医村は半数近くの108町村にのぼった。公一は彼らに医療を提供するため、1932年(昭和7年)に岩手県薬草販売購買利用組合連合会を、1933年(昭和8年)には購買利用組合盛岡病院(現:県立中央病院)を発足させる。のちには釜石、東山、江刺、磐井、胆沢、気仙などの組合病院も設立され、戦後にこれらが県営移管となり、現在の県立病院の礎となった。晩年には岩手県県議会議員、岩手県国民健康保険団体連合会理事長、岩手県農業協同組合中央会会長などを歴任している。
公一は甥に“俺は恩給もないし貯えもない。だから死ぬまで月給とりしねばなんねえのだよ。”とユーモアを交えて話しているが、最期を視察先で迎えており、その言葉を実践した。

掲載日:平成20年6月25日

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