第69回:田鎖綱紀(たくさりこうき)

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広報ID1009597  更新日 平成30年12月10日 印刷 

田鎖綱紀(1854年~1938年)

日本速記術の創始者

田鎖綱紀(たくさりこうき)の写真

田鎖綱紀(幼名:八十吉(やそきち))は1854年(嘉永7年)8月15日、盛岡油町(現:盛岡市本町通)にて盛岡藩士田鎖仲蔵、シュンの次男として生まれた。田鎖家はその祖を閉伊源十郎光行とするため、田鎖ものちに源氏を名乗っている。
田鎖は日本語における速記術の創始者であり、現在の早稲田式や衆議院式などの速記はその流れをくんでいる。
田鎖は明治になってから上京した。当初は航海士を目指しており、大学南校(現:東京大学)で英語や数学などを学んだ。世話をした旧盛岡藩士一條基緒は、その測量技術や語学力を高く評価し、鉱山寮への就職を斡旋する。1872年(明治5年)には秋田県の大葛金山に赴き、工学博士ロバート・G・カーライルと出会う。そこで田鎖は奇妙な文字を見た。カーライルはそれを英語の速記文字だと説明、その時に田鎖は日本語の速記化を思いつき、以後1882年(明治15年)まで独力による創設に悪戦苦闘した。同年10月、田鎖は「日本傍聴筆記法講習会」を開催、24人の生徒に自身の編み出した速記法を伝えた。しかしまだ実践的ではなく、生徒たちは田鎖の速記に独自の改良を加える。のちに速記に目をつけた金子堅太郎は国会議事録への採用を提案、そのため1890年(明治23年)の第1回帝国議会から、その議事録は速記により作成された。
田鎖は英語のほかに数ヶ国語を話すことができ、晩年には日本語の速記法の改良だけではなく、朝鮮語や中国語、さらにはエスペラント速記の創設にも取り組んだ。

掲載日:平成19年8月10日

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