第97回:藤島静村(ふじしませいそん)

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広報ID1009625  更新日 平成30年12月12日 印刷 

藤島静村(1863年~1935年)

円山四条派の画人

藤島静村(ふじしませいそん)の写真

藤島静村(本名:啓八)は1863年(文久3年)10月17日、盛岡穀町にて饅頭屋を営む藤島啓治、トミの長男として生まれた。
静村は幼くして円山四条派の画人であった川口月村の門下となり研鑽を積む。
月村の後継者と目された静村は個展を開催するなど精力的に活動したが、中央画壇での活躍を志し1899年(明治32年)に一家をあげて上京した。東京では同業者と交友し画業の向上に努めた。1907年(明治40年)には日本美術協会へ「豊干禅師・寒山捨得図」を出品、三等賞銅牌を受賞している。しかし1905年(明治38年)に金沢に招かれ長逗留したころから、子どもたちに高い教育を受けさせる資金を得るために旅絵師として過ごす。その行動範囲は北陸各地や大阪に及び、のちには京城(現:ソウル)にまで足をのばしている。この間盛岡にも何度か滞在し、不来方吟社の句会に参加したり門弟の指導などに努めた。1934年(昭和9年)、八戸に滞在していた際に発病し、翌年の1月3日に家族に看取られて東京で亡くなった。
画を生業とした静村の生活は子どもたちにも影響を与えた。次男の亥治郎(がいじろう)は東京大学教授として平泉の中尊寺金色堂修復を手がけ、三男の淳三は日本におけるボタニカルアートの創始者の一人となっている。

掲載日:平成20年10月10日

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