第82回:堀江尚志(ほりえなおし)

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広報ID1009610  更新日 平成30年12月12日 印刷 

堀江尚志(1897年~1935年)

詩情を簡潔に造形した人

堀江尚志(ほりえなおし)の写真

堀江尚志は1897年(明治30年)2月23日、盛岡市新築地(現:盛岡市大通三丁目)にて鉄道員堀江磐男の息子として生まれた。尚志の二人の弟、赳(たけし)と泰男も彫刻をたしなみ、三人とも東京美術学校(現:東京藝術大学)彫刻科に通っている。
舟越保武は堀江の彫刻を“しいんと静かに存在して余分なものが全くなく、その毅然とした静かさは、東洋の美の芯と思われる”と評している。
堀江は東京美術学校在学中、帝展において2年連続特選を受賞した。卒業と同時に師の朝倉文夫らが結成した東台彫塑会に入会している。同級生には、渋谷ハチ公像の作者安藤照(てる)や京都の彫刻界で活躍した松田尚之らがいた。1925年(大正14年)には出品した「少女座像」が帝展推薦となる。しかし翌年、作品制作中に喀血、以後は病と闘いながら作品を制作することとなった。1934年(昭和9年)には帝展審査員となりその才能を大いに嘱望されたが、1935年(昭和10年)6月5日、持病の結核のため東京の自宅にて39歳で亡くなる。
東京美術学校在籍時に帝展特選を受賞した「ある女」の出品は堀江の意思ではなかった。松田尚之は“搬入もわれわれが担いで帝展の会場に運んだのです”と記述しており、堀江自身は松田に見せた明後日にこの作品を壊すつもりだった。

掲載日:平成20年2月25日

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