第99回:山口剛介(やまぐちごうすけ)

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広報ID1009627  更新日 平成30年12月12日 印刷 

山口剛介(1857年~1934年)

漢詩人・書家

山口剛介(やまぐちごうすけ)の写真

山口剛介は1857年(安政4年)11月3日、盛岡下小路(現:盛岡市愛宕町)にて盛岡藩士山口秀木、アキの長男として生まれた。父秀木は俳人として活躍し、知山、蟠龍(ばんりゅう)庵、蟠龍(ばんりゅう)軒と号した。
山口は学問を盛岡藩の碩学、伊藤長有と山崎鯢山(げいざん)に学んだ。1876年(明治9年)、警察御用係となったのを皮切りに沼宮内学校準訓導、岩手尋常中学校雇、岩手師範学校教師嘱託などを勤める。
山口は書家として有名であり、「岩手日報」は“氏は奇行の多い書家として新渡戸仙岳氏と共に本県書家の双璧”と死亡記事に記している。山口が揮毫したものでは、盛岡市愛宕町の正伝寺にある山崎鯢山(げいざん)碑の碑文が良く知られている。晩年は学生たちにも書を指導したが、手本を書かず、学生が握る筆を動かし運筆を教えた。また父秀木の影響からか、沢田芳州に教えを受けた俳人でもあり、梧雨、五雨と号し句作を行っている。
山口は酒を好み、その風貌も飄々(ひょうひょう)としていた。また長く伸びた髭が特徴的であり、“赭(あか)き鬚髯(しゅぜん)は不規則にはびこり、苦正魁顔えもいはれず”と書かれている。

掲載日:平成20年11月11日

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