第60回:川口月村(かわぐちげっそん)

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広報ID1009588  更新日 平成30年12月10日 印刷 

川口月村(1845年~1904年)

円山四条派の画人

川口月村(かわぐちげっそん)の写真

川口月村(幼名:亀次郎、のちに宣寿)は1845年(弘化2年)、下野国(しもつけのくに)烏山(からすやま)(現:栃木県那須烏山(からすやま)市)にてのちに盛岡藩士となる円山四条派の画人川口月嶺、静の長男として生まれた。父月嶺に画業を学んだ月村は花鳥画に優れ、その彩色は研雅鮮麗(けんがせんれい)と言われた。
戊辰敗戦後の1870年(明治3年)8月、月村は外国船が出入りし、書画の需要が見込めた函館へ向かった。彼の地で北海道開拓使からの仕事に従事、測量図や路線図などを作成した。その傍ら画業も怠らず、測量に赴いた北海道各地の様子をスケッチしていたことが、当館所蔵の「北海図誌」からわかる。のち帰郷した月村は加賀野に居を求め、内国勧業博覧会、内国絵画共進会、全国絵画共進会などに出品、数多くの入賞を果たした。月村は写生を重んじる円山四条派の画人として、膨大な量の写生と模写を繰りかえし、その画帳は余白が無いほど書き込まれた。また、父月嶺と同様に多くの門人を育てている。
絵筆で身を立てる苦しさを知っていた月村は、自分の子どもたちに画業を継がせようとはしなかった。しかし、3男の乙吉は月村の死後に画業につき、月泉と号して多くの作品を残している。

掲載日:平成19年3月25日

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