第59回:谷河尚忠(たにかわひさただ)
広報ID1009587 更新日 平成30年12月10日 印刷
谷河尚忠(1834年~1918年)
自由民権運動家・郷土史家
谷河尚忠(旧名:林平)は1834年(天保5年)3月1日、盛岡鷹匠小路(現:盛岡市下ノ橋町)にて盛岡藩士谷河佐市郎、くまの長男として生まれた。戊辰戦争時には、奥羽越列藩同盟のため仙台に赴いている。
明治時代以降、谷河の活動は多岐に渡る。
1875年(明治8年)に第一大区第一番扱所一等戸長となると、南岩手郡郡長などを歴任、1876年(明治9年)には岩手県会議員となり議長、副議長も勤めた。1890年(明治23年)に行われた第一回衆議院議員選挙には、第一区から立候補し2位に大差をつけて当選、1898年(明治31年)7月には高知県知事を勤めるなど政治家として活躍した。また自由民権運動にも参加、年長の立場から求我社を支援し、機関紙『盛岡新誌』の発行所新誌社の社長ともなっている。
文化人的な側面では、『垂涎奇聞(すいぜんきぶん)』を発行した快々社社長を勤め、その後『岩手日報』へ「白髯翁」と号して寄稿した。郷土史家としても新渡戸仙岳、大坊直治、菊池梧郎らとともに先達とされ、南部家や盛岡藩について多くの文章を残している。また書家、漢文家としても名高く、盛岡市北山願教寺境内に残る鈴木舎定碑の撰文(せんぶん)を行っている。
晩年は教育者としても活躍、1908年(明治41年)6月には、75歳の高齢にもかかわらず私立盛岡女学校(現:盛岡白百合学園高等学校)校長となり、亡くなるまで勤めている。
掲載日:平成19年3月10日
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