第75回:田子一民(たこいちみん)

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広報ID1009603  更新日 平成30年12月12日 印刷 

田子一民(1881年~1963年)

衆議院議長

田子一民(たこいちみん)の写真

田子一民は1881年(明治14年)11月14日、盛岡肴町にて田子勘治、カネの次男として生まれた。末っ子で甘やかされたためか“なかなかのやんちゃ坊であったようだ”と本人も述懐している。幼いころは“一坊(いちぼう)”と呼ばれていた。
父の死後、苦学の末に1908年(明治41年)に東京帝国大学法科大学を卒業、原敬の斡旋により内務省に就職した。1922年(大正11年)には内務省社会局長に就任、翌年には三重県知事に任ぜられ、官僚として順調にキャリアを伸ばしていた。しかし1924年(大正13年)、原敬の遺志を継ぐため同じ選挙区から衆議院議員選挙に立候補、政友会総裁の高橋是清(たかはしこれきよ)と歴史に残る選挙戦を繰り広げる。結果は高橋859票、田子810票の僅差での敗退であったが、田子は残念会の席上で“敗れた日は、勝つ日の第一日である”と述べた。1928年(昭和3年)の第16回総選挙から連続9回当選し、その言葉を実践している。その間衆議院議長、農林大臣などを歴任した。
1907年(明治40年)9月23日、当時数え年で27歳の田子は日比谷大神宮にて秋田県出身の福岡珠子と結婚式を挙げた。妻は女学校を卒業したばかりであり、夫はまだ大学4年の学生結婚だった。のちに珠子は静江と改名、妻として夫を家庭面から支えただけではなく、ともに雑誌「第一線」を創刊し婦人の地位向上のために筆をとっている。

掲載日:平成19年11月10日

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