第58回:原勝郎(はらかつろう)

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広報ID1009586  更新日 平成30年12月10日 印刷 

原勝郎(1871年~1924年)

日本・西洋中世史学者

原勝郎(はらかつろう)の写真

原勝郎は1871年(明治4年)2月26日、盛岡新築地(しんちくち)(現:盛岡市大通三丁目)にて盛岡藩士原勝多の長男として生まれた。岩手県尋常中学校(現:盛岡第一高等学校)をへて、1896年(明治29年)に東京帝国大学文科大学(現:東京大学文学部)を卒業した。この年の卒業生には高山樗牛(たかやまちょぎゅう)(文学者)、内田銀蔵(日本経済史家)、幸田成友(こうだしげとも)(幸田露伴の弟、歴史学者)らがいた。
1897年(明治30年)6月に設置された京都帝国大学(現:京都大学)は、9年後の1906年(明治39年)9月、現在の文学部にあたる文科大学を開設する。それは東京帝国大学のものとは違う特色を持つように設置され、新聞社に務めていた内藤湖南(ないとうこなん)が支那学教授として招かれたりした。そのような独自の学風の中、原は西洋史学の初代教授として赴任する。原の学問は史料に直接あたることにより形成された。そのことは、戦前から史料を収集し、1920年(大正9年)から3年半に及び講義された内容を記した『世界大戦史』からも伺える。また原の業績は西洋史だけに収まらず日本史にも及んでおり、明治39年には『日本中世史』を出版している。原はこの著作により、日本史へ「中世」の歴史概念を導入したことでも知られている。
原はメスのように鋭い判断力と理解力を持つと言われた。“短駆(たんく)、やはりステッキ、はげあがったひたい、空中を行く猛禽(もうきん)のように歩み、するどい視線が、すれちがう私をなでるのは西洋史の教授、原勝郎氏であった。”と、吉川幸次郎氏の手記からもその様子が伺われる。

掲載日:平成19年2月25日

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