第98回:島立甫(しまりゅうほ)

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広報ID1009626  更新日 平成30年12月12日 印刷 

島立甫(1807年~1873年)

日本最初の沃素(ようそ)発見者

島立甫(しまりゅうほ)の写真

島立甫(本名:玄澄(げんちょう))は1807年(文化4年)、盛岡にて盛岡藩奥医師島玄忠の子として生まれた。父玄忠は藩主南部利敬の寵愛(ちょうあい)を受けたが、のちに家禄を没収され沿岸の野田に流された。
1829年(文政12年)5月、父玄忠が没する。そののちに立甫は江戸に逐電(ちくでん)、浪人となり医者として暮らす。のちには江戸の本所天満宮(現:亀戸天神社)の側に居を構えるが、1846年(弘化3年)3月、わが国で初めて沃素(ようそ)の抽出に成功した。このことについて幕末の蘭学者宇田川榕菴(うだがわようあん)は著『舎密開宗(せいみかいそう)』外篇第一巻に“島立甫ハジメテ之ヲ昆布焼灰中ニ得タリ”と書いている。また立甫は、1855年(安政2年)ごろに自宅でガス灯の点火を試みたことでも知られている。時の老中阿部伊勢守正弘もこれを見学したと言われ、立甫の研究が時代に即していたことを感じさせる。立甫のガス灯について、医学博士三宅秀(みやけひいず)は“天神のうら門の真向ふに、南部藩の島立甫といふ医者があって、その人が柱に竹管を取り付けて、瓦斯に点火して居った”と述べている。その後帰盛した立甫は実家を継ぎ盛岡藩の藩医となった。
橘不染(たちばなふせん)著『盛岡明治舶来づくし』にも立甫の名が登場する。“医師嶋リウホウといえる南部家の名手あり。この家にて時々牛を屠り「何日牛肉配分」と認めたる看板を出す”とあり、帰盛してからもいち早く西洋の文物を取り入れていた様子が窺える。

掲載日:平成20年10月25日

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