第63回:野辺地慶三(のべちけいぞう)

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広報ID1009591  更新日 平成30年12月10日 印刷 

野辺地慶三(1890年~1978年)

疫学・公衆衛生学者

野辺地慶三(のべちけいぞう)の写真

野辺地慶三は1890年(明治23年)5月11日、盛岡市新築地(現:大通三丁目)にて野辺地慶治、せんの3男として生まれた。盛岡中学校(現:盛岡第一高等学校)、第一高等学校(現:東京大学教養学部)をへて、東京帝国大学医学部を卒業した。
細菌学を志した野辺地は伝染病研究所に勤務、コレラ菌を血清学的に3つに分類できることを発表した。このため一躍コレラ菌に関する世界的な権威として知られることとなる。また1923年(大正12年)から米国に留学、ハーバード大学公衆衛生学部を首席で卒業し、公衆衛生学博士として1927年(昭和2年)に帰朝した。この間に公衆衛生の重要性を認識した野辺地は、帰国後は国立公衆衛生院の創設とその運営に尽力した。また野辺地の保健館構想が基となって現在の保健所制度が発足しており、“保健所の父”、“公衆衛生の父”と呼ばれている。戦後は日本大学や名古屋大学で教鞭をとり、多くの学生を指導した。これらの功績により、1973年(昭和48年)、WHO(世界保健機構)が贈るレオン・ベルナール賞を日本人として初めて受賞している。
野辺地は公衆衛生学の予防医学としての役割を重視していた。その講義の最初には、まず医師法第1条(医師の任務)と第23条(保健指導の義務)をあげて、その精神を生涯忘れないよう生徒に伝えている。

掲載日:平成19年5月10日

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