第68回:小泉仁左衛門(8代)(こいずみにざえもん)

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広報ID1009596  更新日 平成30年12月10日 印刷 

小泉仁左衛門(8代)(1874年~1952年)

南部鉄器保存の功労者

小泉仁左衛門(8代)(こいずみにざえもん)の写真

小泉清信(本名)は1874年(明治7年)7月25日、岩手郡志家村肴町(現:盛岡市肴町)にて盛岡藩の御釜師小泉家へ養子に来た父友弥の子として生まれた。幼くして父と母そして祖父を亡くした清信だが、釜師としての研鑽(けんさん)を積み、1893年(明治26年)5月に8代目仁左衛門を襲名した。
同年、米国シカゴ市で開催された万国博覧会において仁左衛門は銅賞を受賞、その後内国勧業博覧会、全国工芸品共進会、農商務省工芸展覧会、帝国美術院展覧会などで受賞し、その技術は高く評価された。また1908年(明治41年)10月1日、皇太子(のちの大正天皇)が来盛した際に、その御前で南部鉄器製作の実演を行っている。このことが広く全国に報道され、南部鉄瓶の価値が改めて見直されるきっかけとなった。また仁左衛門を中心とした製作者は自分達の技術改善を目的として、翌年に「南部鉄瓶研究会」を結成、中央で活躍していた松橋宗明らを講師に招いた。大正期には、南部利淳が主宰した「南部鋳金研究所」の指導もあり、製作者の技術が向上し、高橋萬治や金澤千代吉ら多くの名工が排出した。
1938年(昭和13年)、戦争による鉄統制令が施かれたため、鉄瓶の製作者たちは大打撃を受ける。仁左衛門は“三百年来の伝統を誇る南部鉄瓶が一時でも姿を消し、技術がすたれるのは嘆かわしいことです”と紙面で訴え、技術保存の必要性を説いている。

掲載日:平成19年7月25日

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