第78回:久慈直太郎(くじなおたろう)

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広報ID1009606  更新日 令和3年5月18日 印刷 

久慈直太郎(1881年~1968年)

産婦人科医学者

久慈直太郎(くじなおたろう)の写真

久慈直太郎は1881年(明治14年)12月29日、盛岡馬場小路にてのちの江南義塾(現:江南義塾盛岡高等学校)塾長の久慈源一郎、ミエの長男として生まれた。盛岡中学校(現:盛岡第一高等学校)在学中は文学を志したが、猪川静雄に勧められ医学の道を選ぶ。
1906年(明治39年)、東京帝国大学医科大学(現:東京大学医学部)を卒業後約1年間アメリカに渡り、苦労しながら現地の日本人病院で働く。帰国後は母校の産婦人科教室や故郷の岩手病院産婦人科に勤務した。のちには招かれて朝鮮総督府医院産婦人科科長、金沢医科大学教授となっている。1927年(昭和2年)、日本赤十字病院院長佐藤恒丸の懇望により日本赤十字社産院院長となり、必要性を痛感していた産婆養成所を就任早々に開校した。また戦後には労働争議により混乱していた東京女子医科大学学長を兼任し、学内の不安一掃に勤めている。1955年(昭和30年)には久慈のそれまでの産科学、婦人科学への貢献に対して保健文化賞が授与された。
久慈は釣りを趣味にしていた。在京してからは神奈川の野島に別荘を建て、地元の漁師と仲良くなるまでに通っていた。

掲載日:平成19年12月25日

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