第80回:原抱琴(はらほうきん)

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広報ID1009608  更新日 令和1年9月17日 印刷 

原抱琴(1883年~1912年)

岩手俳壇の育成者

原抱琴(はらほうきん)の写真

原抱琴(本名:達(とおる))は1883年(明治16年)2月5日、南岩手郡本宮村(現:盛岡市本宮)にて旧盛岡藩士原恭(ゆたか)、リウの次男として生まれた。平民宰相原敬は恭(ゆたか)の弟、つまり抱琴の叔父に当たる。
抱琴は岩手県尋常中学校(現:盛岡第一高等学校)の学生を中心とした俳団「杜陵吟社(とりょうぎんしゃ)」の事実上の創立者であり、岩手俳壇の育成者として知られる。
幼いころから優秀で岩手県尋常中学校から東京府尋常中学校(現:日比谷高等学校)へ転入、そのころ東京根岸の正岡子規の門に遊び俳句に親しむ。当時抱琴は17歳だったが、子規庵で行われる句会では高点を得ており、村山古郷氏はその句風を“穏健中正で情趣に富んでいる。(中略)その纏った表現技巧には老成を感ぜしめるものがあり、はじめて会った子規が「君が本当に抱琴か」とその若さに一驚したのも無理はない。”と書いている。抱琴は学んだ新句風を郷里に知らせたため、「杜陵吟社(とりょうぎんしゃ)」ではますます俳句が盛んになった。同社には野村胡堂や金田一京助らが参加している。抱琴はのちに第一高等学校、東京外国語学校をへて、東京帝国大学法科大学選科生となる。将来を嘱望されていたが、1912年(明治45年)1月17日、故郷盛岡で死去した。
原敬もまた甥抱琴の才能を愛した。『原敬日記』には抱琴の死去について“実に将来憂苦に堪へざるなり”と記されている。

掲載日:平成20年1月25日

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