第53回:瀬川正三郎(せがわしょうざぶろう)

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広報ID1009581  更新日 令和1年9月17日 印刷 

瀬川正三郎(1890年~1972年)

岩手柔道界の指導者

瀬川正三郎(せがわしょうざぶろう)の写真

瀬川正三郎は1890年(明治23年)2月14日、盛岡市上衆小路にて瀬川正太郎、ヤエの3男として生まれた。荒川鉱山を経営していた瀬川安五郎は父のいとこであり、幼いころは安五郎の住む南昌荘で育った。
正三郎は裕福な子弟が通う岩手師範附属小学校をへて、1903年(明治36年)に盛岡中学校(現:盛岡第一高等学校)へ進学した。しかし在学中に瀬川家の事業が失敗してしまう。そのためアルバイトに精を出す学生生活となる。また体の大きかった正三郎は柔道が強く、将来の自活もこの道をと考え、1912年(明治45年)3月に盛岡中学校を卒業し、京都の武術専門学校へ進学する。
同校を卒業後、正三郎は山口県徳山中学校をへて、1917年(大正6年)4月に奥田松五郎の後任として、1943年(昭和18年)まで母校盛岡中学校で柔道を指導した。その門下からは多くの弟子が育っている。1931年(昭和6年)には加賀野の自宅で整骨院を開業、小中学生や生活に困った人からは料金をとらずに治療を施した。人に頼まれるとたいていのことは引き受けたため、戦後は盛岡市消防団団長や盛岡市体育協会会長などを歴任した。
その人柄を慕う教え子たちや消防団団関係者の醵金(きょきん)により、逝去後の1975年(昭和50年)12月に、中津川河畔の毘沙門橋西側の脇に胸像が設立された。制作は船越保武、裏面の碑文は吉丸竹軒の書である。

掲載日:平成18年12月10日

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