第87回:山口青邨(やまぐちせいそん)

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広報ID1009615  更新日 平成30年12月12日 印刷 

山口青邨(1892年~1988年)

みちのくを愛した俳人

山口青邨(やまぐちせいそん)の写真

山口青邨(本名:吉郎)は1892年(明治25年)5月10日、盛岡市仁王小路にて旧盛岡藩士山口政徳、千代の4男として生まれた。早くに母を失い、盛岡市下小路(現:盛岡市中央公民館付近)に住んでいた母方の叔父笹間家に引き取られ育てられる。
盛岡中学校(現:盛岡第一高等学校)、東京帝国大学工科大学採鉱科(現:東京大学工学部)をへて、1921年(大正10年)に東京帝国大学助教授となる。この翌年高浜虚子(きょし)に師事し、水原秋桜子(しゅうおうし)らを指導者とした東大俳句会に参加した。このころからいわゆる東京帝大の秋桜子(しゅうおうし)、高野素十(そじゅう)、京都帝大の阿波野青畝(あわのせいほ)、山口誓子(せいし)らを中心とした「四S時代」が始まり、青邨も参加する。1934年(昭和9年)には処女句集『雑草園』を発行、以後『雪国』、『露團々』、『花宰相』など全部で13の句集を残した。また正岡子規が始め虚子(きょし)が後を継いだ文章会「山会」にも参加、虚子(きょし)の没後は青邨が中心となって活動し、多くの写生文を残している。青邨の随筆集は『堀之内雑記』、『草庵春秋』など8冊に及んでいる。1930年(昭和5年)には宮野小提灯とともに俳誌「夏草」を盛岡で創刊、郷土の俳壇育成にも努めた。
“「みちのく」は文字どおり道の奥で、私はこの言葉が好きでよく使うのだが(略)”と青邨は述べており、「みちのく」を詠んだ句を多く残した。
みちのくの 山たゝなはる 花林檎

掲載日:平成20年5月10日

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