第100回:富田砕花(とみたさいか)

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広報ID1009628  更新日 平成30年12月12日 印刷 

富田砕花(1890年~1984年)

民衆詩の主唱者

富田砕花(とみたさいか)の写真

富田砕花(本名:戒治郎)は1890年(明治23年)11月15日、盛岡市仁王小路にて油屋を営んでいた冨田金兵衛の娘せきの長男として生まれた。12歳で上京し、後に会計検査院に勤める。
富田の文学における出発は「中学文学」「文章世界」などへの短歌投稿からはじまる。1908年(明治41年)には与謝野晶子らの主宰する新詩社へ参加、そこで同郷の先輩石川啄木の薫陶を受けた。1912年(大正元年)に初めての歌集『悲しき愛』を出版、そのころから詩作を行い「早稲田文学」などに発表する。1915年(大正4年)に詩集『末日頌(まつじつよう)』を出版、大正デモクラシーをはじめとした民衆運動が盛り上がりを見せた時期であり、富田は福田正夫、白鳥省吾らとともに民衆詩派の旗手と目された。1917年(大正6年)にはイギリスの詩人カーペンターの訳詩集『民主主義の方へ』、1919年(大正8年)にはアメリカのホイットマンの訳詩集『草の葉』を出版した。自身の詩集としても『地の子』『時代』『登高行』『手招く者』『ひこばえのうた』などを出している。1920年(大正9年)に結婚してからは兵庫県芦屋で暮らし、その生涯を彼の地で終えた。
富田は旅が好きだった。ニックネームは“風”。旅先では職人を訪ねて陶器などを求めたが、それらを飾って見せびらかすことを嫌い、惜しげもなく日常の雑器として使用した。

掲載日:平成20年11月25日

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