第67回:山田美妙(やまだびみょう)

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広報ID1009595  更新日 平成30年12月10日 印刷 

山田美妙(1868年~1910年)

盛岡ゆかりの文人・言文一致体の先駆者

山田美妙(やまだびみょう)の写真

山田美妙(本名:武太郎)は1868年(慶応4年)7月8日、東京神田柳町(現:秋葉原駅近く)にて盛岡藩士山田吉雄、よしの長男として生まれた。山田家は神社の祠官(しかん)を務めた国学者の家系であり、祖父吉風は桜本吉風と号した歌人でもあった。
美妙は明治時代中ごろの文壇の寵児であり、二葉亭四迷とともに言文一致体の創始者として知られている。
1884年(明治17年)、美妙は東京大学予備門(現:東京大学教養学部)に入学した。ここで尾崎紅葉(おざきこうよう)、石橋思案(いしばししあん)らと文学結社「硯友社(けんゆうしゃ)」を結成、回覧雑誌「我楽多文庫」を発行し、同誌上で「竪琴草紙」、「嘲戒小説天狗」を発表した。1887年(明治20年)、帝国大学進学を断念した美妙は文筆業に専念、11月に歴史小説「武蔵野」を発表、また女性雑誌「以良郎女(いらつめ)」の編集兼発行人や「都の花」の主筆となった。また小説や編集だけではなく戯曲、評論、新体詩など様々な方面でも活躍した。しかし「硯友社(けんゆうしゃ)」の同人たちとは袂(たもと)を分かち、のちにスキャンダルなどで汚名をこうむった美妙は文壇の表舞台から姿を消すこととなる。1892年(明治25年)にはわが国初のアクセント付国語辞書『日本大辞書』を発行、晩年は社会小説などを執筆している。
石川啄木は友人への書簡で“明治文学と岩手との関係は、唯一山田美妙あるのみに候へど、(略)”と、美妙を岩手ゆかりの文人と紹介している。

掲載日:平成19年7月10日

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