第88回:海野三岳(うんのさんがく)

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広報ID1009616  更新日 平成30年12月12日 印刷 

海野三岳(1851年~1911年)

岩手の洋画の先駆者

海野三岳(うんのさんがく)の写真

海野三岳(本名:融(とおる))は1851年(嘉永4年)6月2日、盛岡にて盛岡藩士海野梅岳の次男として生まれた。父梅岳は日本画を嗜み、梅軒、梅翁、海雲、菱田永寿堂、象形館、清香庵、画雲楼、梅山書画斎など多くの雅号を持っていた。
父の影響で日本画の素養を身につけていた三岳は、1878年(明治11年)6月から4年間、東京府士族宮本三平の元で図画を学ぶ。宮本の師は洋画家川上冬崖(かわかみとうがい)であり、その門下には高橋由一(たかはしゆいち)や松岡寿など明治期の洋画家たちが多く、三岳も宮本から洋画の技法を学んだ。現在、三岳の描いた洋画は殆どが散逸しており、現存する作品の多くは日本画の中に洋画の技法を取り入れたものである。縁戚の洋画家海野経(おさむ)は“融(とおる)は洋画家を目指したのではなく、(略)日本画の中に洋画を取り入れようとしたのではないだろうか”と述べている。
1884年(明治17年)8月、県立岩手中学校(現:盛岡第一高等学校)勤務となる。人当たりのよい性格のため生徒にも好かれ、191年1(明治44年)に亡くなるまで同校で美術を教えた。その教え子には金田一京助や石川啄木の他に、後に洋画家として活躍する五味清吉、清水七太郎、上野広一らがいる。
陽性なエピソードが多い三岳だが、その創作の苦しさゆえか死の床で家族に告げた言葉は、“海野家から絵描きは出すな”だった。

掲載日:平成20年5月25日

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