第79回:杉村濬(すぎむらふかし)

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広報ID1009607  更新日 平成30年12月12日 印刷 

杉村濬(1848年~1906年)

外交官二代・南米移民の開拓者

杉村濬(すぎむらふかし)の写真

杉村濬(幼名:順八)は1848年(弘化5年)1月16日、岩手郡仁王村大沢川原小路4番戸(現:盛岡市大沢川原)にて盛岡藩士杉村秀三、ナカの次男として生まれた。父秀三は剣術に優れ、濬も明治期の作人館で剣術を教えていた。
濬は明治初期から外交畑で活躍し、のちにはカナダやブラジルへの移民事業に努めた。
1874年(明治7年)、政府の台湾征討に従軍、翌年には横浜毎日新聞に職を得て朝鮮に関する論策を記した。1880年(明治13年)に外務省に出仕、釜山浦領事館在勤を命じられる。それからカナダのバンクーバーに赴任した2年間を除く約13年間を日朝間の諸問題処理に尽力した。1889年(明治22年)にバンクーバー初代領事となった濬は、当時の日本人移民の状況を憂い、外務省に移民施策を具申しており、このころからすでに移民政策に関する先駆的な提言を行っている。1904年(明治37年)には望んでブラジルのリオデジャネイロに赴任、1906年(明治39年)5月19日の死去まで移民事業促進のために努力を続けた。日本人のブラジルへの移民は、濬の死後の1908年(明治41年)から始まる。
新渡戸稲造の後任として国際連盟事務次長に就任した杉村陽太郎は濬の長男であり父についてこう後述している。“要するに父の人となりは何と云はうか人並外れた大さとそれでゐて非常に涙に脆い半面を有った不思議な存在であった。”

掲載日:平成20年1月10日

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