第66回:高橋萬治(たかはしまんじ)

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広報ID1009594  更新日 平成30年12月10日 印刷 

高橋萬治(1880年~1942年)

南部鉄器の伝統伝承者

高橋萬治(たかはしまんじ)の写真

高橋萬治(本名:萬次郎)は1880年(明治13年)3月8日、南岩手郡志家村生姜町(現:盛岡市南大通一丁目)にて高橋吉太郎、エキの次男として生まれた。祖父の高橋松之助が、5代小泉仁左衛門から独立して店を持つ際に「萬治」の名を受けたため、高橋家では代々「萬治」を名乗る。萬次郎は3代目にあたる。
1914年(大正3年)6月、第43代当主南部利淳が南部鉄器の品質向上を目的として、盛岡市愛宕山南麓に南部鋳金研究所を設立した。東京美術学校(現:東京藝術大学)を卒業し、中央で活躍していた松橋宗明が所長に招かれ、高橋萬治、宮寿、内藤次郎ら優秀な技術者が所員となる。研究所では鉄器の品質に関する規定を定め、萬治らの審査をへて、合格した作品にだけ登録商標の貼付を許可した。そのため品質の良い南部鉄器が市場に出回るようになる。1922年(大正11年)10月、萬治は松橋が死去したため職長として研究所を継承、鉄器製作の技術指導に努め、多くの後継者を育てた。また多くの作品を手がけており、戦争時に供出されたため今はないが、高松池畔に設置された約3.3メートルの横川省三銅像も萬治の鋳金による。
南部鋳金研究所時代、萬治は松橋の片腕として、その卓越したデザイン、技法をあますところなく造形した。またその職人肌の仕事ぶりから、「理論」の松橋に対し、「実践」の萬治とも言われている。

掲載日:平成19年6月25日

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